愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、企画「表現の不自由展・その後」が元慰安婦を象徴した「平和の少女像」などを展示し、開幕3日で中止に追い込まれた。展示内容は偏った政治的メッセージと受け取られかねず、公金を使ったイベントとして公平性に欠ける不適切な内容という印象を受けた。
「表現の不自由展-」会場の愛知芸術文化センター(名古屋市)では4日、企画の中止を知らせる案内が掲示された。
中止に至った企画は、平成27年に東京のギャラリーで開かれた「表現の不自由展」が原型だ。過去に公立館などで撤去または展示を拒否された作品を集めたもので、その展示に関心を持った芸術祭の芸術監督でジャーナリストの津田大介氏が新たな作品を加えた「その後」展を芸術祭に組み入れた。
その中で設置された韓国の彫刻家夫妻による「平和の少女像」は、ミニチュア版が24年に東京都美術館で展示され、「運営要綱に抵触する」として撤去された経緯がある。今回は、作品の意図を説明した作者の言葉に加え、「戦争と性暴力をなくすための『記憶闘争』のシンボルとして、世界各地に拡散している」などと解説が添えられているが、この像が韓国の反日感情をあおる象徴となっているのは周知の事実だ。
「表現の不自由展-」ではこのほか、昭和天皇をモチーフにした版画や映像、沖縄の米軍機墜落事故を題材にした絵画、国旗をあしらい政治の右傾化を批判した政治色の強い立体作品なども並んでいた。
芸術祭の実行委員会は来場者による撮影を自由としたが、ソーシャルメディアへの画像・動画の投稿は禁止とした。津田氏は開幕前に「『実物』を見ることで、表現の自由や検閲の問題について考える契機にしてほしい」と説明。県の担当者も「政治的賛否やイデオロギーを問うものではない」と述べたが、展示や解説内容に恣意(しい)的な面が否めず、だからこそ不快だとする抗議の声が県などに殺到したのだろう。
津田氏は、展示中止が発表された3日の記者会見で「想定を超えた抗議があった。表現の自由を後退させてしまった」と述べた。強迫めいた抗議は論外だが、幅広い層の人々が鑑賞する公的な芸術祭だけに、表現の自由は無制限ではない。芸術や表現の自由を隠れみのにした政治的プロパガンダ(宣伝)だとすれば悪質だ。
3年に1度開かれる同トリエンナーレは国内最大規模の芸術祭として知られ、4回目の今回は名古屋市と豊田市を会場に国内外から90組以上のアーティストが参加、10月14日まで繰り広げられる。美術、音楽、映像、演劇などが展開され、外国人労働者の問題や高度情報化と監視社会、生命倫理の問題など、全体として社会批評性に富んだ良質な作品も多い。また参加作家の男女比をほぼ同じにするなど、他の芸術祭にはない試みもある。トリエンナーレのごく一部分である「表現の不自由展-」が、こうした内容を霞(かす)ませるとしたら実に不幸だ。
大量の情報で感情があおられている時代として、津田氏は芸術祭全体のテーマを「情の時代」としたが、皮肉にも情をあおる展示が混乱を招く結果になった。芸術は万人にとって心地良いとは限らないし、行政の過度の干渉も文化イベントにはふさわしくないが、公的な芸術祭の運営には、公益に配慮した冷静さが必要だろう。(黒沢綾子)
2019-08-04 12:01:00Z
https://www.sankei.com/life/news/190804/lif1908040034-n1.html
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