Saturday, November 7, 2020

29歳で上院議員、次々襲う家族の悲劇乗り越えて…バイデン氏横顔 - 読売新聞

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 民主党候補のジョー・バイデン氏(77)は、連邦上院議員や副大統領として44年間、米国政治の中心で活躍した。アイルランド系カトリック教徒の中産階級出身で、自らを「ミドルクラス・ジョー(中産階級のジョー)」と呼ぶ。

 1942年11月20日、ペンシルベニア州スクラントンで4人きょうだいの長男として生まれた。家庭は決して裕福ではなく、10歳の時に父親が失職し、隣接するデラウェア州に引っ越した。父親が中古車販売員として働き始めたことで、生活は徐々に安定する。

 子供の頃は吃音(きつおん)に悩んだ。鏡の前でアイルランドの詩を朗読するという独自の発声練習で克服する。スポーツが得意で、高校や大学ではアメフトに夢中になった。

 デラウェア大在学中、旅先のバハマで出会った女性と恋に落ちる。最初の妻ネイリアさんだ。シラキュース大の学生だったネイリアさんの近くにいようと、この大学の法科大学院に進み、在学中に結婚した。

 68年の大学院修了後、弁護士として働く。70年にデラウェア州ニューキャッスル郡議会議員選挙で当選し、政治の道に入った。72年の連邦上院選に民主党から出馬し、米上院史上で有数の若さとなる29歳で当選した。

 成功を手にしたのもつかの間、不幸に襲われる。クリスマスの買い物に出掛けたネイリアさんと長女ナオミさんが交通事故で死亡し、2人の息子も重傷を負った。議員就任の辞退も考えたが、周囲の説得で思いとどまる。就任宣誓は息子たちの病室で行った。家族との時間を大切にするためにワシントンまで約1時間半、電車通勤した。77年には現在の妻ジルさんと再婚した。

 連続6期36年に及ぶ上院議員時代、要職の司法委員長や外交委員長を歴任した。政策実現を重んじる調整型の政治家として知られ、党派を超えた信頼を確立した。

 87年に大統領選の民主党候補指名争いに加わった。演説の盗用疑惑などで撤退したが、上院司法委員長としての職責遂行で挽回を図る。90年、家庭内暴力を犯罪と定めた「女性に対する暴力防止法案」を上院に提出し、4年後に制定を果たした。2007年に再び大統領選に名乗りを上げ、バラク・オバマ上院議員(当時)らと党指名を争った。

 09年からはオバマ政権で2期8年、副大統領を務めた。議会運営を熟知し外交問題に精通しており、ワシントンでの政治経験が浅かったオバマ氏を支えた。ロシアと署名した核軍備管理条約「新戦略兵器削減条約(新START)」の批准や、無保険者をなくすための医療保険制度「オバマケア」成立のため、議会との調整に奔走した。

 在任中の15年5月、またも家族の不幸に見舞われる。長男ボー・バイデン氏(当時46歳)が脳腫瘍で亡くなった。デラウェア州司法長官を務めるなど、自分と同じ政治の道を歩み始めていた最愛の息子だった。心の傷は癒えず、16年の大統領選出馬を断念した。オバマ氏は17年、米大統領が文民に与える最高位の「大統領自由勲章」を授けた。

 バイデン氏を3回目の大統領選出馬に駆り立てたのは、トランプ政権の誕生だ。米国で進む社会の分断に危機感を募らせていた。19年4月の出馬表明では、トランプ氏の再選を許せば「彼は米国の性質を不可逆的に、そして根本的に変えてしまう」と訴えた。

 若さで知られたかつての上院議員も、今回当選すれば、米史上最も高齢の大統領となる。また、第35代大統領のジョン・F・ケネディ以来、史上2人目となるカトリック教徒の大統領が誕生する。

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