Monday, October 4, 2021

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【編集局から】山奥での取材、携帯電話はない時代で2キロ離れた民家の電話を借りる何度も往復 いつの時代も下っ端はつらい

 26人が犠牲になった静岡・熱海の土石流から3カ月がたった。依然として1人が行方不明のままで、被災住民が損害賠償を求めて提訴するなど新たな動きが出ている。

 平成早々に入社し、整理部をへて、社会部新宿署担当になった。いわゆる「方面担当」といわれ、“お兄さん”にあたる警視庁担当記者の手足となって働く。新宿署といえども、当時は山梨県警1年分に相当する事件・事故を扱う巨大組織だった。

 東京・奥多摩で豪雨の影響で家屋が流され、犠牲者が出る災害に派遣された。ポケベルの時代で携帯電話はもちろんない。山奥だから公衆電話も民家もなく、現場から2キロほど離れた民家の電話を借りることにした。

 ここからが地獄の始まり。警視庁のキャップも社会部のデスクも現場がどんな状況にあるの知らないので、頻繁にポケベルを鳴らす。そのたびに、往復4キロのダッシュを強いられる。強雨のなか、何度も何度も往復するのは若いとはいえ、限界に近かった。

 走っていって電話をかけると、中には「もう、メシ食ったの?」という素っ頓狂な連絡。各社はどんどん現場担当が替わり、そのたびに弁当や飲み物が届いているというのに…。食堂やコンビニなどあろうはずもなく、怒りを込めて、「まだです(バカ野郎)」。

 そういえば、1982年2月の羽田空港沖・逆噴射事故の時も、記者やカメラマンが同じように閉鎖された滑走路を疾走していたとか。いつの時代も下っ端はつらいものだ。(光)

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