『住まいから問うシェアの未来』
ここ数年で「シェア」がぐっと身近に感じるようになった。個人的には、シェアサイクルを日常的に使っているが、シェアハウスに対しては何となく苦手意識を持ってきた。一人暮らしを始めてから、欲求に任せて購入してきた必要/不要なモノに囲まれた生活は安心できるもので、シェアハウスに住むような人々とは違う考え方だと感じていた。
しかし、ふと思い出した。学生時代、留学生として、自分もバックパックひとつでシェアハウスを渡り歩くような人々の一人だったのだ。その生活は、煩わしくもある一方で確かな豊かさがあったことをこの本を読みながら思い出していた。
あとがきによれば、本書は住総研という研究委員会の活動としてシェアについて考えを深め、そこから「住まいの未来」を描き出すという構想だったという。しかしながら、シェアの現場を訪れ、共通認識を深めていった結果、見えたのは、当初の構想とは逆の住まいを起点とした「シェアの未来」だった。
「シェア」それ自体は新しい概念ではない。人々は当たり前のように、自分の生きる共同体において場所やモノを分かち合ってきた。近代資本主義経済はそうしたシェアを必要とせずとも、個人で生きていける社会だった。人口減少や過剰消費社会を背景にAirbnbやUberなどを代表とするシェアリングエコノミーが発展してきた現代。それでは、その先の未来とは、何なのだろうか。実際に自身のフィールドをもち実践・研究を行ってきた7人の執筆者が、シェアを「手段」「媒介」「基盤」と捉え、実例と共にそのヒントを示してくれる。
居住場所とともにシェアオフィス、シェアキッチンが一緒になったスペースをオープンし、運営を始めた鈴木亮平さんは、コロナ禍において想像をしていなかった使われ方をしていることに驚く。シェアキッチンを、キッチンカー営業の仕込みに利用したり、新規オープン予定の飲食店事業者が広告に載せるための調理と撮影をしたりするなど、多様な空間の使いこなし方が見られた。社会やライフステージの変化に合わせて暮らしをカスタマイズしていく際の有効なツールとして「シェア」があるように感じたそうだ。鈴木さんのシェアスペースPLAT295の設計者でもある建築家の山道拓人さんは、これまでの設計活動からシェアを手段にする七つの方法を提示する。
日本のシェアが、さらなる豊かな暮らしをつくる手段として利用されているのを紹介する一方で、小川さやかさんと岡部明子さんは、タンザニアやジャカルタなど途上国のスラム地区を舞台に、人類学の視点からシェアを基盤とする社会とは何かを解きほぐす。途上国のスラム地区では、物理的にシェアすることは生きていくためには不可欠なもので、当たり前にあるため「シェアなんかしていない」とそこに住まう人びとは主張する。
そんなシェアが基盤となっている社会では、誰のものでもないものたちがシェアされている状態が基盤にあって、それを時と場所によって「自分のもの」にする行為が起こる(p.20)。それは私たちが思っていた、誰かが「所有」しているものを部分的に共有するような、確立した「所有」が基盤にある社会における「シェア」とは、地と図の反転が起こっていることを示している。そうした途上国のスラム地区の当たり前にあるシェアの在り方に、豊かな未来を感じる一冊だ。
PROFILE
嵯峨山瑛
さがやま・あきら
二子玉川 蔦屋家電 建築・インテリアコンシェルジュ
大学建築学科卒業後、大学院修了。専門は都市計画・まちづくり。 大学院在学中にベルギー・ドイツに留学し建築設計を学ぶ。 卒業後は、出版社やリノベーション事務所にて、編集・不動産・建築などの多岐の業務に関わる。
からの記事と詳細 ( 「シェア」って借りること? 一時所有すること? それとも…… - 朝日新聞デジタル )
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